退職が決まって改めて感じること

退職が決まりました。

会社とも、円満・・・なのかわかりませんが、一応話して決めました。

退職の理由を聞かれることも多いのですが、たくさんある理由を総じて表すと「何もかもどうでもよくなった」この一言に尽きます。

本当に自分勝手だな、と思いつつ、仕方なくて悲しくて辛くて悔しいですが、今回は仕方ないと割り切ってまずは心身の回復を最優先します。

 

そして、退職届を出した時に全ての憑き物が落ちて、今まで感じていた嫌なことも辛かったことも何もかもどうでも良かったような感覚に陥りました。

ブログに思ったことを書こうと思ってたけど、もうどうでもいいや、って思いかけました。

でも、ヤバイんです。それじゃダメなんです。

ちゃんと感情に向き合わないとダメです。

嫌なことから離れたとしても、嫌だった気持ちは心が覚えています。

 

私は、学生時代、父の暴力から逃れて一人暮らしを始めた時に、ようやく自由になれた!と思い込んでいたのですが、今なお当時の記憶や経験が、じわじわと自分を苦しめています。

もう10年くらい経ちそうなのに、その時のことを思い出すと、よくもまあ新鮮に恐怖で涙が止まらなくなります。

だから、何が嫌だったかも、きちんと向き合って、しっかり自分の考えを掴んでおかなきゃいけません。

今後の自分の働き方や人生を見つめるためにも、その情報が未来の自分の進む道の材料になるはず。

一つ一つ、整理して、頭の中から全て追い出してサヨナラさせて頂きます。

 

上司と現場のダブルバインド

上司が言っていることと現場が言っていることが全く違ったり後になって違うと分かったり、これで間違っていないと思っていた業務フローが全て間違っていると発覚したりして、何が正解かどんどん分からなくなって自信を失いすぎたのが、一番の要因でした。

自分で創意工夫するとか、手探りで押し進めていくのとは訳が違っていて、正解がなく皆問題が起きてから対応するしかない環境だったので、誰も上手にトラブルシューティングできなかったのです。

そのため、私も誰かのせいにするわけにも行かず、とにかく自分の不出来を責めました。とにかく何でも自分のせいにして、上手くいかない事は全て自分のせいになってしまっていました。

もちろん今は冷静になって全てが全て自分のせいだとは思っていませんが、失敗を受け止め、ニュートラルな目線で、何が起きてもきちんと責任を取れる事業部長的立場の人間の不在が原因だったと思います。

それについて問題提起してきたつもりですが、どうやら今もその立場の人間がいないようです。私は誰でも良いので早くそのポストに人を立てるべきだと思います。人間は単純なので、自分にとっても周りにとっても、立場や肩書きが確実に発言力に補正をかけます。

中小企業で慢性的人不足なので、どんどんエンパワーメントすべきなのは明白です。全員をプレイングマネージャーにするやり方は、人それぞれの特性を活かしているのは言い難いです。

結局ワンマン経営なので、下っ端の小さな声は無視されるしかありませんでした。

これがおかしい、これを変えたい、でも変わらない。自分にはそんなパワーや能力はない、と言うような繰り返しをするうちに、私はすっかり生命力を失いました。

 

 

会社として鬱病に理解がなさすぎた

鬱は甘え、気の持ちよう、ポジティブに考えろ、怠けてる、嘘をついてる、鬱病になったことがないから分からない、全部言いたいことはわかります。

でも、共感できないことと、理解できないことは違います。

ガンになったことがない人はガンの人の気持ちに共感することはなかなか難しいですが、ガンと言う病気がどのような症状をもたらすか、理解することはできるはずです。

会社として、鬱病に理解力が全くありませんでした。

偏頭痛で休んでいる人がいれば「仮病を疑うよね」と言い出すような、鬱病ですとカミングアウトすれば「お酒でも飲んで忘れた方がいいよ」と言うような、気分が落ち込んでいて何もできませんと言えば「ポジティブに考えなよ」と言うような、そんな人たちでした。ごめんなさい。無理です。

すごく気のいい人たちなので、個人的な恨み辛みの気持ちは全くありません。

私も、健常だった時の考えを思い起こすと、そのような物言いになってしまうことも十分理解できます。

でも、私が今後引き続き働く環境としては不適切だったとしか言いようがありません。

申し訳ないのですが、1ヶ月とか3ヶ月とかの区切りをつけて、鬱が治るなんて言い切ることはできません。

せめて人事という肩書きを持つのであれば、個人として共感できないまでも、病状を理解できる程度には知識を持っていて欲しかったです。

 

 

何だかすごく大変なのに別に報われない

私より明らかに有能で、仕事量もこなしている先輩の、給与水準がほとんど私と変わりません。何のために頑張るんだ?同期も諦め半分です。

あの会社の営業のお仕事は、ほぼ事務職なので特別なスキルがつくとは言い難いです。

そして何より、社長がこの先メイン事業を縮小していくと発言しています。

この先なくなっていくサービスを売るのはとにかく辛い。

かつ、必要とされている会社にも、満足にサービスを供給できないクオリティの低さも営業担当の私の悩みの種でした。

とにかく目の前の業務をこなす、怒られてもとにかく明るく振る舞う、とにかくイエスマンになる、それでも頑張れた人はきっと報われると思うのですが、私にはそこまで頑張る理由が見つかりませんでした。

自分の目的とやりたいこととやらせてもらえることが一致していると、きっと楽しいんだと思うのですが、私のやりたいこととは乖離していました。

もちろん、あの会社で報われる人もいっぱいいると思う。

私はいい意味でも悪い意味でも、世渡り下手でした。単純にダメだった。処世術も持ってなかった。

ですが、休職してから後輩ばっかりから連絡くるので、後輩には何かしら有意義な物を伝えられたのではないかと思っています。

 

 

働くことでしか生き残れない

と言うわけで、私は今よりも給与を上げること、何かしらのスキル・経験が得られること、何かしらの仕事へ使命感を持って立ち向かえることの3つが必要だと考えています。

わがまま言っていると思いますが、別に会社員じゃなくてもいいので、これを満たすようなお仕事をしたいです。

誰かからやらされる業務ではなく、自分でやる仕事を選びたいのです。

 

すごくいっぱいいっぱいかっこ悪すぎる言い訳をして、自分の人間としての器の小ささに辟易として苦しいのですが、でも、退職してより一層、私の人生には「work」が必要なのだと痛感しました。

働くことでしか自分の意義を見出せないし、働くことでしか鬱のどん底から脱却できないようです。

あまりにも不器用すぎるけど、きっと大丈夫。

しっかりと限界のラインを見極めて、ゆっくりと自分の生き方を見つけていきます。

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